東大阪で空手の稽古といえば、極真会館 御厨道場へ
強さは礼儀と思いやり

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極真会館 御厨道場 強さは礼儀と思いやり
「極真空手とは?」

 現在の極真空手は、ただ強さだけを求めるものではなく、「現代の武道」として様々な人たちに愛されています。
強くなりたいと願う方はもちろんのこと、健康管理を目的とされる女性、ビジネスマンの人たち、体力増進と礼儀作法を目指す子供達など 新しい形の武道として確立されています。 兄弟や親子で共に稽古で汗を流されるケースも少なくありません。

 人間は目標を持ち懸命に努力する事で 最高の能力を発揮し 成長するものと信じています。
やってみたいと思う気持ちを大切にし 一歩前に進んでください、必ずや極真空手のすばらしさを体験されいっそう好きになって頂けると思っております。

 空手を通じて、人間的成長を目指して参ります。


 始祖、故・大山倍達によって生み出された世界初の直接打撃制の空手です。 近世以降、形骸化あるいはスポーツ化された空手に対し、武道本来がもつ実戦対応能力の重要性を提唱しています。 「極真」の名称は「武の道は千日を以って初心とし、万日を以って極みとする」という武道の格言からきています。
 かつて大山が何度も口にしていた、「力なき正義は無力なり。正義なき力は暴力なり」という言葉があります。 現代社会に応用すれば、「口先だけでなく、実力の裏付けを持つ行動力のある人間になれ」ということでしょうか。 武道の本義は厳しい稽古を己に課し、その修練を通して確固たる人格形成をなすことです。 「頭は低く目は高く、口慎んで心広く、孝を原点として他を益す」という極真の精神は、日々の中で我々が目指すべき人間としての普遍の理念であると考えています。

極真会館 御厨道場 強さは礼儀と思いやり
「道場訓」

一.吾々は心身を錬磨し、確固不抜の心技を極めること
 (ひとつわれわれは、しんしんをれんまし、かっこふばつのしんぎをきわめること)

わたしたちが、空手を修行する目的は、自分自身の体と心をきたえることにあり、真剣にけいこに打ち込むことで、どんなことにも動じない心と強い意志を習得して行かなければならない。

一.吾々は武の神髄を極め、機に発し感に敏なること
 (ひとつわれわれは、ぶのしんずいをきわめ、きにはっしかんにびんなること)

わたしたちは、武道としての空手の道を徹底的に追求していくことで、どんな状況でも臨機応変に対応する力と相手の心を理解する思いやりや優しさ、どんなことにも素直に感動できる心を身につけなければならない。

一.吾々は質実剛健を以て、克己の精神を涵養すること
 (ひとつわれわれは、しつじつごうけんをもって、こっきのせいしんを かんようすること)

わたしたちは、自分自身を飾ることなく、真面目で素直に空手の修行に打ち込むことによって、自分自身に打ち勝つ強い心を養っていくことを心がけなければならない。

一.吾々は礼節を重んじ長上を敬し、粗暴の振る舞いを慎むこと
 (ひとつわれわれは、れいせつをおもんじちようじょうをけいし、そぼうのふるまいをつつしむこと)

わたしたちは、礼儀を身につけ、目上の人を敬い、人前で空手の力を誇示するような行動をとってはならない。

一.吾々は神仏を尊び、謙譲の美徳を忘れざること
 (ひとつわれわれは、しんぶつをとうとび、けんじようのびとくをわすれざること)

わたしたちは人間の力が及ばない自然や宇宙の摂理を重んじ、神や仏を敬い、相手のことを大切にし自分を謙遜する態度を忘れてはならない。

一.吾々は智性と体力とを向上させ、事に臨んで過たざること
 (ひとつわれわれは、ちせいとたいりょくとをこうじようさせ、ことにのぞんであやまたざること)

わたしたちは、空手の修行によって知性と体力を向上させ、どんな状況でもあせらず、冷静に対処できるようにならなければならない。

一.吾々は生涯の修行を空手の道に通じ、極真の道を全うすること
 (ひとつわれわれは、しようがいのしぎようをからてのみちにつうじ、きよくしんのみちをまっとうすること)

武道としての空手の修行は、一生かけて追い求めるものであり、一生を通じて極意に一歩でも近づこうとする姿勢、それが極真空手の本義である。